今日は兵庫県南部地震があった日。建築にも大きな被害が出る。
罹災家屋の復旧のための支援のため地震後JIAのメンバーと現地入りした。
罹災した家屋の修理の可能性を持ち主へアドバイスする仕事だった。以後中越、中越沖と出場している。

京都に前泊し、まだ住吉までしか走らない電車で現地に近づくにしたがって異様な光景が続く。駅を降りてまず大量の仮設WCが並んでいる気が付いた。地震発生後2週間以上経っているのに電気も上下水道もガスも止まったままだ。
人が住んでいない町はこんなにも静かなものかというのが印象として残る。
消毒薬の臭いが鼻を突く。夏であればとぞっとする。

東灘区の魚崎地区の3件ほどの住宅を訪ねた。
近くの小学校に避難していた住宅は倒壊を免れたものの、土拭き下地の屋根が壊れ室内は泥だらけ、とても住める状態ではないが避難所も閉鎖されるとのこと。
TVだけではとてもわからない現実。

当時はインターネットはまだ普及が始まったばかり、Niftyのパソコン通信で現地の状況は傍受していた。やはりマスメディアでは報じない生々しい情報が飛び交っていた。

建築の被害を見ると筋違いの腐食や逆に節点破壊など筋違いの役割の重要性を感じた。やはり局部破壊を起こすような極端な強度の偏在は危険だ。
東灘区の区役所はまだ水道が開通していなかった。前の川までバケツで水を汲みに行き用便を済ましたあとの始末をした。

都市インフラが破壊された時に起こる事態の一端を経験する。
現在オール電化が全盛であるがインフラ頼りの脆弱なシステムで危機管理が出来るのかこのとき以来いつも疑問に思っている。灯油やプロパンガスのように身近に備蓄できるエネルギーの重要性を感じる。
また高層建物はEVが停まってしまっては避難はともかく生活できなくなってしまう。高層階から用便のたびに地上階まで降りてこなくてはならない。
群馬県庁が出来た時高層の庁舎を見上げながら大規模災害の時には使い物にならないなと思った。