事務所の開業時から親交のあった家具職人の親方が亡くなった。自分の両親と同じ年代である。
最初の現場は前橋八幡宮の近くの「スタンディングバーアップルの造作家具工事だった。次に「前橋善丸」では移動家具を注文した。合板を組み立てた昔風のチリ箱のような椅子だがなかなかかわいい仕上りだった。事務所にある雑誌棚も特注で作ってもらった。
欅に塩地を象嵌細工した置時計も作ってもらった。

最後の仕事は「鮨なかざわ」のねた箱をあつられてもらったことだった。
さわらの木箱に保冷材を敷きガラスの蓋をのせた冷蔵箱である。
毎日仕事が終わると丹念に店主が洗うものだから角が大分丸くなりそろそろ新しいのをと思っていた矢先のことだった。

「鮨なかざわ」のカウンターで昔話を聞かされたときのこと、「料亭岡源」の家具を納めたので表玄関から入って行こうとしたら勝手口に回され、その代わり料理も酒も振舞われたが職人は玄関から入ってはいけないと諭されたとの事。
戦後間もないころのことと思う。夜の世界には古い文化がきちんと残っていたということか。今では考えられないことである。
親方は江戸末期に川越から来た松平家について移住してきた指物師の末裔とのこと「あたしはねえ」と発音する。
家具のつくり方はずいぶん教えていただいた。

すでに会長職であったし息子がきちんと跡を継いでいる。
しかし日頃の忙しさにかまけ、ご無沙汰してしまったがせめてもう少し昔話を聞かせていただきたかった。
合掌