
自分が生まれる7年前の今日夜、前橋中心部はアメリカ陸軍の夜間無差別爆撃を受けた。母親も祖父母とともに焼夷弾の雨の中を郊外に逃れたとのこと。粘着性の椰子油を撒くことで木造家屋を焼き尽くす周到な準備がされ、500人以上の非戦闘員が死亡したのをはじめ多くの市民が犠牲になり、沢山の家屋が灰燼に帰した。
今日はもっとも被害が大きかった比刀根橋脇の防空壕跡を訪れた。いつも千羽鶴が絶えないのだが、今日は生花まで供されていた。中学の美術の先生から防空壕の扉が内開きで満員となった壕の中で多くの市民が扉を開けられず蒸し焼きにされたと話されたことがある。
文学館に行ったらアメリカ軍が撒いた空襲予告ビラが展示してあったが、あんなもの撒かれたって逃げようもない管理下にあったわけで、これを口実に戦争犯罪を言い訳できるものではない。
昭和27年のサンフランシスコ講和条約で戦後は終わったのだが、今だ旧福生飛行場をはじめ多くのアメリカ軍の基地があり、政府の対米追従姿勢は相変わらず続いている。負けたけんかの相手にいつまでも尻尾を振るのはいかがなものか。
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