墓参り

妹の命日に行きそびれてしまったおばあちゃんの分と合わせて母と墓参り。
20歳の1月15日の亡くなった妹の命日は成人の人も重なり、家族にとっては毎年一層つらい日だった。おちょこちょいの政治屋が変なふうに勝手に変えてくれたおかげで、すこし気が楽かな。

持病の喘息発作で自分が丸沼スキー場に遊びに行ってるわずかな時間の間になくなってしまった。当然最後を看取っていない。
のんきに帰宅したら家中の電気がついていて異様な様子。「なさけないよー」というおばあちあんの嗚咽を聞いてもことの重大さが理解できなかった。
遺体が病院から到着してようやく実感した。

だんだん冷えてゆく体のぬくもりを感じながらどうすることも出来ない。
葬儀には大勢の友人が駆けつけてくれた。せめて葬儀くらいはきちんとしてやろうと思った。出来るだけ良い記憶を参列者に残してやりたいと思った。
火葬場で棺と一緒に飛び込まんばかりの母の姿が目に焼きついた。

一方おばあちゃんは肺がんで医師から半年持つかどうかといわれ、そのとおりになった。告知は本人にはしなかった。肺から脳に転移し痛みはあまり感じなかったようだ。病院にもしばしば見舞うことも最後を看取ることも出来た。30年以上一緒に生活して、影響を沢山受けた人だった。娘が生まれてしばらくは元気でかまってもくれた。

娘はもう24歳。妹の生きた歳を越えた。自分はさらに34年も長生きしている。
このうえは順番を守ることが最後の親孝行だと思う。

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1件のコメント

  1. 匿名希望

    Unknown

    さぞ、辛い思いだったのでしょう。
    私は今年24才になります。去年の年末に父を亡くしました。父は糖尿病を患い病気が悪化に伴い夫婦仲も悪くなり、私は6才下の弟を守るために父と母を無理矢理に離婚させて父を家から追い出しました。それから5年父は糖尿病からくる多臓器不全で死に私は久しぶりに冷たい父に対面し葬式を取り仕切り親戚達からの陰口にも耐えました。
    子供としては尊敬すらした父、人間としては軽蔑すらした父でした。生命保険にすら入って無い父だったので葬式の借金の為に働く毎日です。
    何だかこのブログを読んでついつい愚痴ってしまいました。すいません。

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