
これが解れば上州人。パソコンの電源落とそうとしてふと思い出してしまったのでちょっと書き込み。
今から40年前、小見辰男先生のアトリエに通っていたころ、カルタの原稿がたくさん並んでいた。最初の上毛カルタは敗戦後まもなくのものなので印刷も粗末なものだった。
演劇の落合義雄氏と舞台の大道具の関係で交流のあった先生がこれを描かれていたのだ。写真でカルタを作ったらこれはこれで想像力をかきたてなくなるもの。故人で写真の無い郷土の偉人もいるし。
出来た当時とは人口も増え、逆に町村合併でなくなってしまった地名もある。
カルタにちなんだ日記も書いていこう。
東京への一極集中が進む中、地域のコミュニティーは崩壊寸前だ。
一方東毛のように首都圏から企業ごと移ってくる新住民もいる。
今回の邑楽町庁舎の設計者変更騒ぎも案外こんなところに起因していると思う。
前町長はタレントのような東京の建築家を引っ張ってくれば面子が立つと思って自らの責任を放棄してコンペをやったのでは。なにしろコンペの立案を町外に頼んだのだから。この動きは「吉井町役場」「中里村役場」「鬼石町体育館」「富弘美術館」「安中環境フォーラム」と同じ流れである。
審査委員長を建築家に任すのは当然なことなのだろうか。審査委員長の建築家は上毛カルタの何枚かでもそらんじて読めるのだろうか。もちろん参加する建築家は自分より見識のある人にジャッジして欲しいものだ。
しかし仮に建築に関して教養が無かったとしても人格、知識は全てに建築家に劣るものではない。まして町執行部、議員は町民により正式な手続きによって選ばれた選良なのである。
当然自治会や婦人会、育成会、老人会、青年会、消防団といったコミュニティーを支えてきた組織をないがしろにしなかったろうか。
山本事務所側が使う「住民」という語彙には「町民」とは違いものを感じる。
そもそもコンペの審査が町中心に行なわれた可能性が低い。
建築家サイドで決めておいてその後「住民参加」といっても最初からフェーズがずれていまいか。
仮に建築についての素養が低く、稚拙であったとしても町主導、もちろん建築家の助言は大事にすべきだが、その意味で立場が逆転している。
この問題では山本事務所側が建築家に働きかけ集団訴訟を9月11日起こすそうでJIA関係にも同調を促すメールが配布されている。
おそらく何人かは同調するのであろう。
そもそもの発端は東毛地区の町村合併が破綻し、新庁舎を邑楽町にと目論んだことが失敗したことに起因する政争である。その意味で邑楽町は格差社会を是とする小泉政治の犠牲者なのかもしれない。
いなかにはいなかのやり方があるのだ。
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