今日、8月5日は前橋市街地がアメリカ軍の爆撃機を使用した攻撃で中心市街地を焼失し多くの民間人に犠牲が出た日。
父が15歳、母が13歳、当時の記憶ははっきりと残っている。東京大空襲の時は南の空が赤く染めれられていたというし、前橋空襲の際は焼夷弾がそこここに着弾し燃え始めたのを見ていたといっている。
中学の時、授業中、突然比刀根橋近くの防空壕の悲劇を聴かされた。実体験した年代もだいぶ少なくなってきた。若い世代が事実から目を背けず伝承していく動きも続いている。大切なことである。

ベトナム戦争のころから「空襲」を「空爆」と表示することが多くなったと思う。
これはマスコミ大手がアメリカに忖度して先の戦争末期に受けた空襲の実体験から目をそらさせようとする言葉刈りだったのではないか。
本質は航空機を使用した空からの襲撃である。

敗戦をすでに承知していながら戦争指導者はめんめんと地位にしがみつくことによって始めた特別攻撃隊の自死を強いる作戦と並んで亡くならなくて良い民間人を死に追いやったといえる。
一義的には殺人者はアメリカをはじめとする連合国ではあるが勝算のない戦争を指導部内部の空気に後押しされて始めてしまったことは多くの記録によって明らかだ。

極東軍事裁判は連合国側の私刑にも等しいが、日本国として彼らは戦争責任を問われていない。
ウクライナやパレスチナなど世界各地で武力衝突が起きている現代だからこそ、国の指導者には過去の過ちを教訓に平和な日本を導いていってほしいと思う。