歴史の重層と様式の継承を巡る備忘録

職場の研修旅行で、久しぶりに九州へ足を延ばした。 何かと慌ただしい時間が過ぎ、今日は実質的な仕事納めとなる。 ようやく一息つけた今、記憶が鮮明なうちに今回の旅を総括しておきたい。

1. グラバー園(長崎)
明治維新前後、スコットランドから来日したトーマス・グラバーゆかりの施設。寒い国から来た人の住まいにしては、ベランダを多用した典型的なコロニアル様式のモチーフが印象的だ。イギリス人は暖かい地方の様式に憧憬を抱いていたのかもしれない。日本人技術者が見よう見まねで作ったとはいえ、西洋の様式を巧みに写し取っている。オランダとの交流が長かった長崎ならではの、職人技術の高さの証だろう。

2. 大浦天主堂
「信徒発見」の舞台であり、隠れキリシタンの時代から深い縁のある地域。歴史を感じさせる建築群は実に見応えがある。原爆によって損傷を受けながらも、創建当時の姿を回復させたその佇まいには、祈りの歴史の重みが宿っている。

3. 日本二十六聖人記念館・聖堂(今井兼次設計)
ガウディの影響を強く感じさせるが、近代建築の技術を応用しつつも、表現において手仕事の痕跡を色濃く残す力作だ。皇居の「桃華楽堂」や安曇野の「碌山美術館」など、寡作ながら心に残る建築を手がけた彼らしい、建築への情熱が伝わってくる。特に手貼りの陶片による壁面装飾は、設計者の執念と祈りを感じさせる秀作であった。

4. 大正屋(吉村順三設計)
佐賀・嬉野温泉に立つ、吉村順三設計の旅館。名目上、今回の研修の主目的でもあった。 太い桟の荒組障子など、一目で吉村流とわかるディテールは、書籍などを通じて多くを学んできたものだ。私自身も含め、多くの作り手がその手法を「セオリー」として参照し、模倣してきた。それゆえに、実物を前にしても既視感が強く、意外にも印象が薄くなってしまった。 これは、吉田五十八や村野藤吾といった作家の強烈な属人性が「真似のできない特殊性」であるのに対し、吉村のディテールは、現代建築の共通言語となるほどの「普遍性」を獲得した結果なのだろう。20代の頃に触れたような、目を見開かされる驚きとは質が異なるが、吉村流のディテールが身体的に心地よいものであることは、改めて疑いようがなかった。

5. 旧唐津銀行(監修:辰野金吾/設計:田中実)
近代様式建築を「西欧の模倣」と断じるのは容易だが、明治という短期間に習得した技術の成果には、西欧に飲み込まれまいとする当時の強い意志を感じる。 今回巡った建築は1910年代初頭のものが多かった。日露戦争を経て国際社会に頭角を現した時代、大陸に近いこの地には旺盛な経済力が溢れていた。唐津出身の辰野金吾の指導のもと、清水組の田中実が手がけたこの華やかな建築は、イギリス仕込みの知識が至高の価値を持っていた時代の象徴と言える。

6. 福岡市赤煉瓦文化館(旧日本生命九州支店:辰野金吾設計)
御影石のボーダーと煉瓦の外装。全国に残る「辰野式」の典型であり、福岡の街の中心によくぞ残ったと思う。壊させない「目に見えない力」が働いたかのようだ。

7. 福岡市美術館(前川國男設計)
地方都市の美術館としては、その規模と収蔵物の質に圧倒される。一方で、「アジアのリーダー都市になる」という現代福岡の気概も感じられ、東京とはまた違う日本の存在感に少し嬉しくなった。 前川國男による設計は、氏の他作品に比べれば軽やかな仕上がりだが、褐色のタイル使いはまさに前川表現そのもの。アーチ形の天井には、近代建築の旗手が見せた、少し意外な一面を覗いた気がした。

8. 北九州市立美術館(磯崎新設計)
群馬県立近代美術館と同時代の磯崎作品。丘の上に立つ巨大な「キューブ」の構成は、伝統からも西欧様式からも離れた独自性を持つ。ポストモダン前夜の作品だが、増築部分にはアルハンブラ宮殿の中庭を模したような空間があり、時代の変遷を感じさせた。

9. 松本清張記念館(宮本忠長設計)
小布施や津和野の町並みを守った宮本忠長による設計。大きな瓦屋根とどっしりとした構えは宮本スタイルそのものだ。推理のプロセスを辿るような巧みな動線や、仕事場の再現展示は、再び清張の本を手に取りたくさせる魅力がある。 ただ、少し張り切りすぎたのだろうか、展示物以上に建築が主張しすぎている場面も見受けられた。


10. 北九州市立文学館(磯崎新設計)
キューブで構成された美術館に対し、こちらは「芋虫」のような曲面造形で対照をなしている。PC版の屋根に包まれた内部は、どこか洞窟を想起させる。 この一帯はかつて陸軍の施設があった場所であり、『無法松の一生』の舞台でもある。また、天候の影響で長崎へ変更される前の、原爆投下候補地であった歴史も持つ。ここは、そうした記憶を刻む鎮魂の地でもあるのだ。

11. 門司港駅、及び周辺
最終見学地。時間が押し、駆け足の見学となったのが悔やまれる。 門司港駅をはじめ、周辺は近代様式建築の宝庫だ。関門トンネル開通まで九州の玄関口であった面影が色濃く残る。激動の昭和を見届けた証人。やはり九州は、今回の3倍の時間をかけてゆっくり見て回りたい。それが、旅を終えての一番の感想である。