11月に入り、喪中の知らせのハガキが連日届く。年賀状のやり取りを続けていなければ、このような故人との別れを知る機会はなかったのかもしれない。年賀状の慣習が形式的で無駄かどうか、あるいは不躾なものかどうか、いろいろと考えることはあるが、私は年末に2026年の年賀状を出すつもりだ。そして、喪中の方々には、改めて心を込めて寒中見舞いを出そうと思う。

メール一本で済ませることもできるが、あえて拙い字で、心を伝えたい。その手間暇こそが、人と人との繋がりを大切にする私の姿勢である。

鉄道から「消えるもの」

鉄道の世界では、今年大きな動きがあった。JR東日本からは、電気機関車がその姿を消しつつある。

長年、横須賀・総武快速線で活躍したE217系も、既に解体が始まっている。

また、八高線の気動車も徐々に数を減らし、ハイブリッド車両へと置き換わっている。


引退する車両の中でも、特に115系がこれほどまでに多くの人々に惜しまれるのは、おそらく多くの人々の人生の節々に、その車両が関わってきたからではないだろうか。

上越新幹線開業後も頑張った上越線の主。

スキーで訪れた石打や越後湯沢で見た、「はくたか」が走った最後の年の雪景色。

そして、ダム建設により今は無くなってしまった川原湯温泉駅で下車した、加藤登紀子さんのコンサート。列挙すればきりがない、数えきれない思い出が115系には詰まっている。


かつて信越本線として一つの路線だった区間も、いまは分断されている。軽井沢から直江津の間は、現在、しなの鉄道、JR東日本、そしてえちごトキめき鉄道の妙高はねうまラインと、実に3社4区間に分割されている。かつて多くの優等列車が行き交った線路は、今では寂しい限りの様相だ。新幹線の便利さと、それと引き換えに失われた古き良き鉄道の旅情のあることを、しみじみと感じている。