ローカル線が語る近代史と紅葉の旅
「わ鐵」とはわたらせ渓谷鐵道株式会社の略称だ。群馬県外の方にはなじみが薄いかもしれないが、この鉄道は歴史と絶景の宝庫だ。JR東日本から1989年に転換し、群馬県を中心とした第三セクターで運営されている。

渡良瀬という名前は、もちろん渡良瀬川に由来する。足尾から桐生、足利を経由して利根川にそそぐ一級河川だ。

銅山の歴史と軍事路線
この鐵道の前身は、足尾で精錬された銅を運ぶための足尾鉄道だ。銅は当時、重要な軍需物資でもあった。硫黄や鉄鉱石を運んだ吾妻線(旧長野原線)と並び、この路線もまた軍事輸送の役割を担っていた。

しかし、歴史はそれだけではない。足尾地区から出た鉱毒は渡良瀬川を汚染し、近代日本で最初の公害問題となった。渡良瀬は、単なる河川ではなく、近代日本史に欠かせない、光と影の歴史を背負った場所なのだ。

渋滞知らずの秋旅へ
今日は午前中気分が優れなかったが、遠出の予定を実行に移した。昼食後ノソノソと足尾へ向け出発。紅葉を狙ったが、まだ少し早い印象だ。色も例年ほど鮮やかではない。暑かった夏の影響だろう。

この鉄道の魅力は、現役で残る古い駅舎にもある。沢入駅はその代表格だ。かわいらしい待合室が創業当時の形で残っている。この付近の踏切で、まず下り列車を一枚撮影した。単行のディーゼルカーは、まさにローカル線の主役だ。

ローカル線とJRのあり方
JR東日本は赤字路線を公表し、来春の運賃改定を正当化しようとする。国鉄時代が良い状態だったとは言えないが、分割の結果、公共機関としての使命感が薄れてしまった。新幹線を作っては在来線を赤字に追い込むやり方は、利用者からはとんだとばっちりだ。リニア新幹線などにうつつをぬかすJR東海など、支線の惨憺たる状況は目を覆うばかりだ。

足尾の「味のある」構造物
足尾の街を訪れるのは初めてだ。日光方面に抜けるのに通り過ぎるだけだったが、年々寂しくなっているのが現状だ。鉱山閉山後も関連会社は残って仕事をしているものの、かつての勢いはない。これは、鉄道路線の衰退と重なる部分がある。

足尾鉄道は、明治44年以来延伸を続け、1914年に現在の終点である間藤まで全線開通した歴史を持つ。現代のすっきりとした構造物とは違い、当時の味のある構造物が随所に残っている。これこそが、写真を一緒に撮りたくなる理由だ。

1時間30分間隔のダイヤでは、撮影効率は極めて悪い。ローカル線の宿命だが、これを受け入れるしかない。それでも今日は車で追いかけながら数枚の撮影に成功した。

わ鐵の秋を、心ゆくまで楽しんだ一日だった。