
群馬県民会館の存続が危ぶまれている。この建築は群馬大学学芸学部が荒牧に移転した跡に建ったが以前の勤め先が近所だったこともあり工事過程も時々覗いていた。
さらに言えばコンペの直後舞台装置の専門家でもあった小見辰男先生のアトリエでプレゼン案を拝見したことがあった。墨入れのプロのドローイングを初めて見ることができて感動したことも覚えている。
この建築では稲田白御影が大量に使用され、現在これだけ豊富に使えることは難しいのではと思う。西側のファサードは窓も少なくとっつきにくい表情であるが上部の出張りを「セガイ造り」と称していたような気がする。
新建築のバックナンバーを探せば掲載されているかもしれない。
閉鎖的な外観と石とコンクリートのストイックとも言える表情は群馬音楽センターの親しみやすいホワイエとはまったく異質のものである。
公共建築として県レベルで建てられたホールと市民運動から生まれたホールの差を今回の用途廃止の話題から改めて考える。
県という行政機関はやはり末端まで血が通わないのだろう。単に経済的かどうかという現代の極めて矮小化した判断力は文化というものを秤にかけることすらしない。
昨年、JIA日本建築家協会全国大会は弘前市民会館で行われた。言わずとしれた青森が生んだ建築家前川國男の代表作の一つである。もちろんいまだ健在。東京文化会館や京都文化会館も改修を重ねながら健在。
一方昨年は菊竹清訓の設計した都城市民会館が保存運動が巻き起こったにもかかわらず解体されて姿を消した。
1960年代、オイルショック以前の建物は省エネに対する配慮が現代のものとは大きく劣る。群馬県民会館もその例にもれないかもしれない。
特にホールの大きな体積を冷暖房していくのは省エネ性能が要求される。その部分は改修していけばよいのだ。当然のことである。
昭和5年生まれの昭和庁舎は改修され、今も県民に親しまれているばかりではなく、最近はTVや映画のロケに引っ張りだこである。
命名権料欲しさに民間企業の名前など付けるから建物の意味が薄れるのだ。
明治100年記念事業として建てられたのであれば少なくとも100年は存続させなくては意味がない。
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