8月15日は1937年の盧溝橋事件から長かった戦争が1945年、敗戦という形で終わった日。この日が近づくとアマゾンプライムの古い映画に戦争を扱ったものが増えてくる。
好戦的なものもあれば反戦的なもの、様々だが浮かび上がってくるのは当時の日本の指導者層の責任であろう。
戦争体験者の証言は被害者としての体験談ではあり感情に訴えかけても、おおむねマスコミの視点は天災ではない人災である戦争の原因に目が届かず、その責任の所在をあいまいにしたままだ。
日本の指導者の後継者たる現政権からもその責任を改めて検証しようとする姿勢は見られない。

アメリカが悪なのか、日本に非があるのか、また双方の責任はいかほどか、75年も経つと文字とおり風化しつつある。
戦争の反省から戦勝国側が作った国連とはいえ国際協調を大切にしてきた時代から、妙にポピュリズムによる自己中心的な孤立主義がアメリカを先頭に台頭しつつある。
隣国中国もその規模の巨大さを背景に3000年を超える歴史においての覇権復活を目指し、近隣諸国を脅かし続けている。
新型肺炎禍により一般市民レベルも意思疎通が疎になっている現在、国際的にもサプライチェーンの危うさから国内回帰が始まっているとも伝えられている。

なんとも歴史書から知る戦前の空気、中国本土に満州国という植民地を作り、中国本土に大量の軍隊を送った時代、と尖閣諸島、南沙諸島、中印紛争など相似形に不安を覚えるものである。
やったらやり返す、倍返しでは済まないのが現実の生活だ。人類の知恵の頑張りに期待するしかない。