梅雨の高い湿気からか自室に異臭が漂うので鎌倉の鬼頭薫香堂の「雪ノ下」を焚きながら書架から古谷三敏の名作「寄席芸人伝」を取り出し耽読する。
ラジカセで反復して稽古する前座の話が出てくる。それを見ている引退した真打ちが自分の前座時代を回想する。もちろん否定的な意味である。師匠の一言一句動作を聞き逃すまいとする緊張感とはただ反復して覚えるのでは本質的に違う。

ラジカセに限らずWEB検索でほとんど用が足りてしまう現代をしあわせな状態と呼べるのだろうか。自らが移動しなくても良い通信手段もそうだ。機械にどんどん人間の能力を奪われていっていないだろうか。
たしかに江戸時代の進歩は非常に遅々たるものであったと思う。しかし人間が確実に実体験を通じて獲得してきたことではないかと思う。

「せまい日本 そんなに急いでどこへ行く」昭和48年の交通安全標語。「気楽に行こうよ」TVCMモービル石油。「寄席芸人伝」の世界から単に回顧趣味ではなく大切なことを思い起こさせてくれたと思う。