実に52年にわたる同級生が集まる。定年退職し、第二の人生を送っているものやまだ事業を続けたりと現状は様々だがとにかく16名集まる。担任も体力の衰えを感じさせるもののこの宴会に付き合っていただいた。担任は初めて受け持ったクラスである。修学旅行先での不始末の責任を取り生徒をかばって頭を丸めたこともあるなど今では考えられないような人間関係があった。
48名中、物故者が1名、体調を崩しているもの数名といったところだが容姿はすっかり老人のそれだが久しぶりに昔話に花が咲いた。

群馬県立前橋工業高等学校は昭和42年当時8課程10クラスで各クラスとも3年間クラス替え無しである。技能工養成ではなく技術者養成のための高校であるにしても所詮世間の表舞台に経つことを求められていたわけではない。それでもそれぞれ企業を支える技術者として活躍してきた。理不尽なパワハラ当たり前の建設業界にあってわずか18,9歳で猛者たちと渡り合ってきた同級生たちである。流石にもう穏やかな表情に落ち着いてはいたが厳しかった50年を生き抜いてきたのだ。