母親の従姉妹の葬儀があり参列。享年99歳だった。母の母の弟の妻ということだからかなり遠縁に当たるのだが喪主は自分と同じ歳の息子である。
末っ子の弟が家を継いだので一世代ずれているのだが小さい頃はよく遊んだものだ。

旧勢多郡粕川村、上毛電鉄の新屋駅から田んぼの中を青大将が横切る道を歩いて15分くらい。祖母や母に連れられて御霊神社の境内をかすめトボトボと歩いて通った。当時は電気の冷蔵庫などない時代。祖母は中央前橋駅前の魚屋で「なまり節」や片原饅頭などを土産に買っていくのが習慣だった。

祖母の実家は古い赤城型の養蚕農家で付属屋として牛舎や納屋が庭を取り囲むように建っていた。曾祖母の葬儀の際は自宅で葬儀が行われた。
庭でたらいで湯灌して座棺の木の樽に安置し、近所の人たちが幟を先頭にジャンボンとあぜ道を進み墓地に土葬した。子供心にも鮮明に記憶されている。
蚕の時期は家中が蚕棚。雨音のように桑を食べる音が続いていた。脱走した蚕をつまむとひんやり冷たい。これも記憶に残っている。

そんな生活のなかで故人はやさしいにこやかなひとであった。ひとりでお邪魔した際、いろりにかかったやかんのお湯で砂糖湯を振る舞ってくれたことも鮮明に記憶に残っている。久しぶりにあった親戚の同年輩の人たちもすっかり高年者。まだ死を理解できないひ孫たちが元気にはしゃぎまわって、少し救われる思いもある葬儀だった。