
鉄道好きの巡礼地の一つである「大井川鐵道」についに乗る。この鐡道には熱心なファンが居るからまさに初心者なのだ。

早朝、前橋駅を07:17に出発し、上越新幹線、東海道新幹線、東海道線を乗り継ぎJR東海の金谷駅に着く。

金谷駅では大井川鐵道の普通列車、旧近鉄特急が出迎えてくれた。初めて奈良に旅行したときの車両形式のような気がする。

数分で新金谷駅に着く。車庫にはSNSなどで見かけた車両の数々が止まっている。お目当ての門デフはボイラーが東海汽罐に修理に行っていて見えない。古い車両ばかりである。鉄道博物館と言ってもよいであろう。更に動態保存だ。駅の改札を抜けターンテーブルの方に向かうと試運転であろうか。SLがユッククリ移動しているのが見えた。

当日乗り込むSL急行の車両はすでにホームに入線している。牽引はC10 8で昭和5年製、すなわち父親と同じ年だ。高崎機関区にの在籍していたようだ。大井川鐵道のレールや橋脚は幹線用のものより華奢である。入線しているSLも小型機ばかりであるが維持管理はこちらのほうが楽であろう。

出発まであちこちウロウロして駅弁を買い込み6号車に乗り込む。

オハ35 559は昭和17年 日本車輌の製造とのこと。暖房はSGに戻されていてラジエターに足をかけると蒸気の熱が伝わってくる。やがて汽笛の音とともにゆっくり走り出す。最近では映画やTVドラマでしか聞くことの出来ない音である。インバータの音もなくレールの継ぎ目の音と、SLの機械音だけが伝わってくる。

石炭の匂いも久しぶりだ。小学校の時前橋駅を出発する列車が吐き出すばい煙で小学校の校庭の空が黒くなったのを覚えている。
窓ガラスも正直なところ煤だらけ。車輌も営業運転するにはギリギリな状態だ。JRでは走らせることが出来ないだろう。ただ運転密度や古いことそのものに価値のある鉄道だから許されるのだ。

1時間ほどで本線の終点である千頭駅に着く。ちゃんとした端頭型のクシ型ホームである。ここで井川線という更に大井川右岸上流を走る列車に乗り換える。

もともと中部電力の工事用路線のいわば軽便鉄道を引き継いだものだから車両規格も極めて小さい。かつ冷暖房は当然なし。これから訪れる一は季節をよく考えたほうが要であろう。一応ボギー車であるが乗り心地は期待できない。そんな細かいことは周囲の景色の素晴らしさで消し飛んでしまうが。木の芽時である。柔らかな緑の中に桜が点在して咲いている。

1時間半近くかかって終点及川に到着。途中の見せ場は一区間だけだがアプト式機関車を増結しても山登り。4分ほど停車して連結作業を乗客は見守る。

宿は井川の「大西屋旅館」ロードバイクを組み立てて4kmほどの山道を登る。

女将はシニアソムリエの資格をお持ちとかでイタリア料理を日本風にアレンジした山奥の旅館としては異例のもの。せっかくだからハーフボトルのワインをいただく。おすすめはボルドーの白「キャップ ロワイヤル」。シャブリよりも渓流魚や山菜には合うのだそうだ。堪能して客室のこたつでうたた寝。一日中なんというのんびり加減。
翌朝、二日酔いにもならず会計を済ませロードバイクで走り出したら変速機が故障。輪行の最中に無理がかかったのか、心当たりが無いのだがとにかくトルクを掛けるとインに落ちてしまう。重いギヤでなんとか走り出すが峠超えもあり無視せずに井川駅まで下り再び輪行。来るときに様子はわかったのでひたすら撮影に集中する。

井川線は流石に山奥なのでカメラマンは少ないが千頭駅からの本線は大小のカメラを持った老若男女が多数待ち構えている。

帰路の列車はC56 44。タイからの帰国車で戦争中軍事列車牽引のため供出された一両。映画「戦場にかかる橋」「クワイ河マーチ」の舞台である泰緬鉄道で働いた。数奇な運命の車輌だ。小海線でもポニーの愛称で貨客列車を牽引していた。7両もの客車を牽引するなどローカル線用機としては名誉なことではある。

客車はスハフ42 186で戦後の優等列車用の客車だが内装が化粧板でありニス塗りの戦前型より風情がない。
窓の外は桜が満開。カメラの砲列も場所取りが大変だったろうなという感じ。負け惜しみでもなく帰路も乗っていてよかった。

新金谷からは旧東急のステンレス車で金屋まで。吊り革が「BUNKAMURA」のネーム入りがご愛嬌。
大井川鉄道は決して経営状態は良くないらしい。古い車両を抱え込み維持だけでも大変だと思うが社員の人たちの熱意が伝わってくる鉄道会社だ。対応が慇懃ではなく非常に温かいものであったことを書き留める。

この地方では入学式のようだ。新入生と親の集団と乗り合わせる。桜の季節だ。
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