
街中でビルの改装工事。今風に言うとリノベーションの類。
屋上から周りを見渡すと道路側の派手さとは違ったさびしい光景も目に入ってくる。
ビルの小窓を開けたらすぐお向かいのWCの窓がありばったり目が合って気まずいことも。
ふだんの生活圏で仕事をするのは久しぶり。改めて現在の近隣の様子が気にかかる。
そんな街で昨今話題になっているのがJIA関東甲信越支部が主催して開催している「空き家・空き地コンペ」。応募作品が公開されたので見に行った。やはり町内の人とのかかわりが薄いものが目立つ。また日常生活とは関係ないものを持ち込もうとしている。
街に何かを加えることはあえて望まない。限界集落とはいえ市中心部として十分な都市インフラがあり、たぶん郊外に住む人たちよりはるかに便利な暮らしをしている。
住民が望んでいるのはかつてのように祭囃子が聞こえてくるような街。人が戻ってくる街ではないだろうか。
街作りは経済的な発展や、商業的賑わいだけが全てではない。とかくこの方向に目が向いている。今回のコンペもそうだ。
実際にこの界隈に住み町内と一緒に暮らしながらこれからを考えようという地に足がついた作品があった。これは救いである。
来月5日は本町二丁目公民館で本町二丁目成年会の年次総会がある。
おそらく20年ぶりの参加だ。そろそろ父親に代わって町内の行事に加わる立場になってきた。
徒歩5分の距離の事務所は国道17号線を渡った先にあり、個人では本町二丁目、事務所は一丁目に属しているので
僅かの距離で情報はまったく伝わらない。
そもそも自宅は旧「連雀町」、事務所は旧「南曲輪町」、かつてはその間に旧「堀川町」があった。
町名変更は単に行政の都合で行なわれた。このことによって江戸期から続いた町内の人のつながりも変えざるを得ないことになったが、市中心部の凋落振りはこのことが大きく影響していると思う。
本町二丁目は旧「本町」「連雀町」「相生町」「田町」から出来ている。銀行街を抑えていた本町の名前が継承されたということだろう。
今の成年会のメンバーはおそらく中学校時代に町名変更を経験していると思う。だから意外と一緒に遊んだことが無い人が多い。
もちろんその子供たちは生まれたときから本町二丁目の子供だから仲良しではある。但しほとんど外に出て居ない。
自分自身同級生で唯一残った。
なぜ人々はこの町を離れて行ったか。政治経済全てがかかわった問題。この部分の掘り下げなしに未来は語れないだろう。
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