洋花だが祖母の命日の墓前にスイートピーを手向ける。
申年だった祖母は生きていれば108歳。

今も祖母の作ってくれた綿入れ半纏とかいまきを愛用している。
すでに袖先は擦り切れ、ひどい状態だが手放せない。

家業が紙袋を作る家内工業であったから仕事場も住まいも一緒。
とにかく身近に祖母がいた。
明治の人である。行儀にはうるさく掃き掃除も子供の仕事としつけられたはずだが、だらしなさだけが身についてしまった。

ひ孫も面倒も見てくれていたのにあっという間に他界。
限られた時間を少しでも一緒にいたいと日赤病院にもたびたび足を運んだ。

病院から一時帰宅した際に設計監理を担当した小学校の落成祝いの折を一緒に食べたのを思い出す。
唯一の贅沢がからといってルームエアコンを取り付け最後の暑い夏をすごした。

記憶をたどりながら、至らない孫であったことをいまさらながら悔やむ。