呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)は呉港桟橋のすぐ前にある。戦前戦後を通して軍港として長い歴史を持ち、造船も瀬戸内一帯は盛んな土地柄である。
旧海軍 軍艦大和も呉で建造された。その地域独特のプライドがこのような施設を作ったのだろう。

旧海軍 軍艦大和は武蔵、信濃とともに世界最大の戦艦として起工したが皮肉なことに完成した時には日本海軍の空母6隻からなる機動部隊の艦載機による真珠湾攻撃、陸上攻撃機によるマレー沖海戦によって、制海権を航空兵力が握るような時代になっていた。大和は完成時には時代遅れの船になってしまった。そしてわずか4年足らずで水上特攻により海没する。
これをどのようにとらえるか。目玉の模型を見るにつけ、複雑な思いである。

広島平和記念資料館は1955年の丹下健三の設計により完成したとある。
コルビジェのピロティとの類似性はぬぐえないが原爆ドームと原爆死没者慰霊碑 を貫く軸線が一層強調されるものになっている。
展示物については予備知識として既にあり、正視に耐えられるか自信がなかった。
しかし建築を見る旅とはいえ展示物をきちんと見ようと決心し現地に向かった。

まず広島に10月10日夜になってから入ったので夜景を見ることになった。町の灯りが灯るとはいえ都市の猥雑な光景が消え施設が照明に浮かび上がる。
広い公園の中は静かな夜を迎えていた。
翌日、昼間公園に入る。端正な建築群が展開する。ただしピロティにより空中に浮かんだかのような建築は重量感を感じさせない。世界平和記念聖堂とは対照的だ。

展示は本物とレプリカが入り混じるのには疑問を感じる。建築の修復にも通じる課題だ。そして情緒的すぎる。
まず日米の戦争責任があいまいにされている。原子爆弾がなぜ広島に投下されなくてはならなかったのか。市民の大量虐殺が戦争犯罪に問われないのか。

同じ市民でも原爆の被害者、海軍と深くかかわって生業として生きてきた市民。二つの展示施設のそれぞれの交わることのない視点があった。