あっという間の45年。
画像は1970年の前橋工業高校の校舎群である。
1945年8月5日の前橋空襲で現在の第三中学校のところにあった校舎が全焼し、戦後工場跡地に移転。戦中の中島飛行機株式会社前橋第二工場の工場を鉄筋コンクリートの校舎に建替え中でいつも学校中が工事現場のようであった。

500名近い同期生はそれぞれ定年を過ぎ、新しい人生を歩みだしていることだろう。
もちろんなかには定年を待たず、先立ったものもいる。
いずれにせよほとんどの仲間は表舞台には立たないものの高度成長を支える役割を果たしたのだと思う。

工業高校の役割も大きく変わった。
経済的に余裕の出来た現代では目的も持たないまま大学に進学するものも多い。
高卒の離職率も高いと聞く。
企業が身勝手に終身雇用を切り捨て派遣社員を採用するなど環境は厳しい。

15歳で人生の進路を決めるのはあまりにも拙速であった思う。
自分自身普通高校へ進学していれば今の職業を選ばなかったと思う。

しかし後悔はない。
建築の設計という職業を選び、まさに天職を得たことは誇りでさえある。
進路の選択理由は絵が好きで描くことで身を立てることができないだろうということが原点である。そして好きな仕事で多くの方々との出会いは得がたいものであった。

まだまだ現役である。といってもこの時間が永遠に続くものでもない。
心技体、そのいずれかが欠けるまでがんばる。