JIAの社会人講師として桐生工業高校で住宅設計について話をする。
高校二年生であるから自分は45年前の出来事。
自分たちがこんなにかわいかったかなと思う。
それなりに背伸びしていて大人びていたはずと思い込んでいた。

たぶんほとんど理解できないだろうと思いながら話をする。
ただ将来こんなことをするのかなというぼんやりとした記憶に残ってくれればそれで良い。
自分も何もわかっていなかったのだから。

工業高校は科単位で授業内容が異なることもあり、3年間クラス替えもない。
彼らは一生の付き合いになるであろう。

桐生工業高校は昭和48年ころ、校舎の設計に携わった。といっても新米としてほんのお手伝いではあったが。校長室で昼食にカツどんをとって頂いたがまったく体が受け付けず難儀しとことも懐かしい思い出だ。
その校舎は耐震補強によって姿は変わっているが基本的なシルエットは残っている。
建築という仕事の重みを改めて感じた、