
あの地震からもう20年、早いものだ。
振り返ってみると自分の建築人生の中間くらいに位置する。
JIA会員として被災者への「建築相談」のため群馬の会員とともに平成7年2月11日、前橋を出発。被害が少なかった京都駅前のホテルに投宿。翌12日JR神戸線の電車で住吉まで進む。
すでに途中は損傷を受けた家屋が並びいよいよ現実のものとなった。
「建築相談」は被災度判定の済んだ住宅のこれからの住み方について相談を受けるという業務だ。ボランティアである。
被災度判定により概ねの判断はできるが注視すると致命的な被害を受けているものも有り、また仕上げが脱落して構造体へのダメージは小さいものも有りといった具合で、それぞれ住人に本当のことを伝えるが辛かった。
魚崎南町という海に近い地区を巡回した。焼失は免れたものの大きな被害を受けている商店街。跡形なく焼け跡となっている商店街。解体作業の音こそ聞こえるが生活のない町は不気味に静まり返っていたのが印象的だ。
消毒薬の匂いが鼻を突く。東灘区役所も電力は復旧したものの水道はまだ開通しておらず水洗便所の仕様もままならない。
近くの川までバケツを持って水を汲み汚物を流すという初めての体験もした。
建築の壊れ方はまさに教科書通り、そして木造建築の補強金物の重要性、筋違の危険性などその後の設計に大いに影響を受けた。
特に水平剛性の大切さは従来の壁量計算では評価できないことなどからその後木造建築でも許容応力度法による構造計算の手法の採用につながった。
自然の力の前には人間といえどもあまりにも非力。このことを軽視し、思い上がりが東北地方太平洋沖地震による福島第一原発の損傷事故を引き起こした。多くの犠牲者の方々にはただご冥福を祈ることしか出来ないが、仕事として生命の安全を託されていることを今日改めて思い起こした。
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