群響 お茶の間コンサートが放映中止

お昼近くTVのスイッチを何気なくいれたら群響 お茶の間コンサートを放映していた。番組の最後に中止のテロップが。
提供が県教委で緊縮財政のあおりか。
客観的にいえば日曜日のおひるごろクラシックのコンサート、しかも定演となれば聞くほうも体力の要る本格的な曲が多いのだからじっくり聞き込む県民がどのくらいいるか疑問ではあるがカラオケ大会は盛況なのに少し寂しい気もする。

画面にはなつかしい群馬音楽センターのステージが写っている。
最近このホールの存続を考えるセミナーがあり聴講する。
ステージ上部の空間の気積が足らないのでよい音がしないし、形態的に改善の余地はないと音響の専門家からの指摘があった。

しかしである。
戦後の復興期に市民運動から建設されたこのホールのもつ意味は非常に大きいと思う。設計者も今評判の良いシューボックス型をあえて採用せず、聴衆がなるべく同じ視線で鑑賞できるように配慮したのではと思う。占領軍によって与えられた民主主義と揶揄されながらも軍国主義から決別し平和な日本を建設しようとしたある一時期の日本の記念碑のように思える。

群響はトラックの荷台に楽器を積み山奥の学校まで演奏活動を過去に行なったことがある。学校の体育館でコンサートをするのである。
本気で文化を考えていた時代。欧米文化が全てではないにしろ地方の交響楽団として存在意義があったのだと思う。設立当時に比べればおそらく団員の質の上がっていると思うがたんに他のオーケストラと競うのではなく地方にある意味を考えて欲しいと思うだがいかがか。このホールの音響については団員のなかにも不満が多いとも聞く。

文化は非常にもろいものである。
新たなホールが建設されこのホールも記憶の中にだけ行き続けるようになるのかもしれないが歴史の証人をあまりにも簡単に葬ってしまってよいものだろうか。

皮肉なことに設計者は帝国ホテル設計のスタッフとして来日した外国人である。
しかしたった一人の建築家が残した歴史的資産の重みは大変なものがあるのだ。

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2件のコメント

  1. ころすけ

    Unknown
    小学生の頃 群響が来てくれる日を心待ちにしていました。小さな講堂のステージでプロの音楽家が演奏してくれるのを間近で視聴できる醍醐味は田舎の小学生にも充分に伝わりました。
    音楽センターは中高ブラスバンド部のコンテストにも使われていてステージ立ったこともあります。懐かしさだけではない貴重な文化の流れを持っています。
    新しいコンサートホールを建立することと、音楽センターの行く末については別に考えることは叶わぬのでしょうかね?

  2. 音楽センターは残って欲しいですね。
    群響は群馬が誇る文化のひとつですがそれを育てた音楽センターもまったく同じ存在であるし、また高崎の財界人の知的レベルの高さの証だと思うのですが

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