
レストランポンチは前橋の老舗中の老舗である。
かつて清王寺町(現日吉町一丁目)の福島建築設計事務所に修行中は残業の食事をよく出前で食べた。昨日久しぶりにオムライスを食べ当時を思い出した。
当時残業の時間になると事務のひとが残業食の注文をとってまわった。
いつもオムライスかナポリタンまたはドライカレーを頼んだ。
なんてことはない。豚肉が入っていないのだ。なぜ鶏肉なら食べられたのか、多分脂身が無くいためてしまうと調味料の味が移って食べやすかったからだろう。
官庁仕事が中心の事務所だったので毎年6月から9月ころまで非常に忙しい。毎日毎日ポンチの出前の夕飯が続いたのだ。
明治生まれの祖父母と一緒の生活からか主采は魚や野菜が中心で豚肉などが食卓に登ることは無かった。当然母親も肉類には扱いなれてなく、というより蛙の肉を鶏肉と偽って食べさせられて以来肉嫌いだった。もっともこれが現在でも元気な原因かもしれないが。父親は戦時中烏や兎を食べていたらしいのできっと物足らなかったことだろう。そんな好き嫌いの激しい母も最近は脂身以外は箸が出るそうだ。
そんなわけで学校給食など大変苦痛であった。カレーが出てもただ豚汁のように角切りの肉が入っている遠ざめしたものは生臭く感じるだけでちっとも美味しくない。いまのように給食を残してもしかられない時代ではない。鯨の竜田揚げもおいしいとは思わなかった。鯨肉を絶賛する年配者も多いが同調は出来ない。しかし商業捕鯨に反対する理由は無い。食文化をアングロサクソンごときとやかくはいわれたくないものだ。
仕事上の食事でかつどん(当時はごちそう)をふるまわれても相手を気遣って飲み込んだものだ。高校二年のとき二級建築士の試験場アルバイトでうな丼が出た。これは美味しかった。翌年も味をしめて応募したらかつどんだった。
来月は二級建築士の会場監督を頼まれた。はたしてお昼は何が出ることやら。
今は減量のため毎朝30kmほど自転車に乗っている。少しは成果が出つつある。
偏食が亡くなった途端、体重が増加し続けたのだ。
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