昨日の晩、仕事の帰りにスコッチハウスアップルに立ち寄る。
偶然クライアントに遭遇、午前様に。
こちらもこの店とは長い付き合いだとか。今まで一度も会ったことが無いのが不思議ではある。そういえば別のクライアントは結婚式の二次会を2階で開いたとのこと。設計事務所の開設レセプションもこちらの2階で開いた。
スコッチハウスアップルは前橋でも古い店になってしまった。
マンハッタンが店を締めたあとバーとしては最古参ではないか。もっとも経営者は代替わりして若いマスターががんばっている。
始めてこの店に来たのはもう30年も前のことで定かではない。
もともと敷島公園でAPPLEという喫茶店が始まりだ。ビートルズのアップルレコードのコピーのような赤いロゴだったが一世を風靡したものだ。敷島公園の周囲はまだ牛が放牧されているようなころだったと記憶している。なにしろWCが汲み取りだった。
たまたま町内の看板屋さんにアルバイトで図面を書くことを頼まれたのだが飲食店設計としては第一号ということか。
当時店には高校の後輩が勤めていてマスターの妹と結婚して二人で店に出ていたのだが今度はその縁で当時出来立てだったスコッチハウスアップルの外観パースを頼まれたのがきっかけでこの店に通うようになる。
当時は酒を飲むといえば勤め先の宴会であったり、喫茶店でコークハイを飲むといった程度しか飲んだことが無かったのだがカウンターのバック棚にはスコッチなどがずらりと並び、大人の世界に迷う込んだかのようであった。テーブルチャージが400円、オールドのキープが5000円、スコッチのスタンダードが6000円であったと思う。BGMにはブレンダリー、ハイファイセット、サンタナなどが流れていた。
最初は一階のカウンタープラスボックス席2つの小さな規模であったからすぐ常連同士仲良くなった。泊りがけで長野のペンションに徒党を組んで遊びにも行った。いまだに付き合いが続いているし、何人かの人から設計の注文もいただいた。しかし東和銀行の行員だったkさんをはじめ幾人も友人が鬼籍に入ってしまった。
本業の仕事の方は慣れたのと飽きたのとでやや停滞気味だったがこの時期遊びまわったことがその後の進路を決定つけたともいえる。
前マスターは戦前には前橋を代表する呉服屋の跡取りであったが、洋装に服装が変化することによって跡を継がずに証券マンから飲食業を立ち上げた人だった。
根っからの商人であったが休日には営業接待をかねてよく新しい店や、ショーなどに誘ってくれた。思い出には六本木の「金魚」これは前橋ではとても見られないものだ。
付き合いが途切れたりした時期もあったが断続的に付き合いが続いている。その間「林檎亭」、「スコッチハウスアップル2階内装」、「敷島アップル改装」、「スタンディングバーアップル」と貴重なリピーターであるし、設計事務所を開業し、経営者の端くれとなった今、接客や経営の勉強をさせていただいたことと思う。
60歳で引退するといって本当に店を従業員に渡し、(これにはずいぶん反発したのだが)楽隠居となったのかと思っていたら体調を崩し引きこもっていたのでずいぶん心配したがまた元気な姿を見せるようになった。
今度は客席で飲みたいものだ。
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